●● がっくはっけん ●●
学区発見
赤塚中学校
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 大塚池  おおつかいけ
大塚池 大塚池は新堂池ともいいました。江戸時代より笠間街道(今の国道50号線)一の風景と言われ,茨城百景(いばらきひゃっけい)にも選ばれています。かつては,まわりの水田へ水を引くための「ため池」として利用されていました。 野鳥などのいきものが多く,冬には白鳥も飛来(ひらい)します。

 大塚農民館  おおつかのうみんかん
大塚農民館 大塚町に住む歴史研究家から提供されたものをもとに,農業に関する道具や農家の生活品を展示しています。主な展示品には「脱穀機(だっこくき)」「くるり棒(ぼう)」「かまど」「糸つむぎ機」などがあります。

 佐川文庫  さがわぶんこ
佐川文庫 元水戸市長をつとめた故佐川一信(さがわかずのぶ)氏が所蔵していた本などを公開(こうかい)しています。現在約3万冊の本と1万枚のクラシックCDが収(おさ)められています。館内(かんない)は書庫(しょこ)のほか,多目的ホールや,閲覧室(えつらんしつ)があります。

 河和田八景  かわわだはっけい
河和田八景 河和田八景は水戸八景をもとに,天保年間(てんぽねんかん)(1842年ごろ)に選ばれました。「天徳寺晩鐘(てんとくじのばんしょう)」「報仏寺暮雪(ほうぶつじのぼせつ)」「道場池夜雨(どうじょういけのよるのあめ)」「高間原秋月(たかまがはらのあきのつき)」「広面落雁(ひろおもてのらくがん)」「吉田晴嵐(よしだのせいらん)」「膳棚帰魚(ぜんだなのきぎょ)」「西宿夕照(にしじゅくのゆうしょう)」の各地には,解説(かいせつ)の看板(かんばん)が立てられています。写真は「膳棚帰魚」とよおばれる場所で,水戸市学校給食共同調理場(みとしがっこうきゅうしょくきょうどうちょうりじょう)付近を流れる桜川です。

 河和田城跡  かわわだじょうあと
河和田城跡 河和田城は1337年に,鍛冶弾正貞国(かじだんじょうさだくに)べつの名を川和田入道(かわわだにゅうどう)によって築(きず)かれたと言われています。五重六重に土手が築かれ,その中に堀をめぐらして館(やかた)がつくられていました。鍛冶(かじ)氏の後,江戸(えど)氏の城となり,その後江戸氏の家臣である春秋(はるあき)氏にあたえられました。

 天徳寺  てんとくじ
天徳寺 天徳寺は佐竹(さたけ)氏の創立で,佐竹氏が徳川家康(とくがわいえやす)によって秋田に移動させられると,天徳寺も秋田に移りました。しかし,衣鉢(いはつ)は引き継がれ,今の八幡町(はちまんちょう)にある祇園寺(ぎおんじ)がむかしの天徳寺でした。その後,水戸藩主徳川光圀(とくがわみつくに)によって河和田伝舜院(でんしんいん)跡に定められました。

 国道50号線バイ
 パスぞいの大型店
こくどう50ごうせんばい
ぱすぞいのおおがたてん
国道50号線バイパスぞいの大型店 車でお店まで行く人がふえてきた中で,住宅地からはなれた場所に広い駐車場(ちゅうしゃじょう)をもつ大型店が多くなってきました。赤塚あたりでは,国道50号線バイパスのりょうがわに飲食店(いんしょくてん),おもちゃ屋,洋品店(ようひんてん)などの大型店があります。

 赤塚駅
 南口
 あかあつかえき
 みなみぐち
赤塚駅南口 赤塚駅が,新しく2かいだての橋上駅(きょうじょうえき)になりました。南口(みなみぐち)ができ,北口(きたぐち)と南口は駅上橋(えきじょうきょう)によって自由に行き来できるようになりました。また,茨城県庁(いばらきけんちょう)までの直行バスが走るようになり,赤塚駅を利用する人はますますふえそうです。

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