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学校自慢

校歌

 飯富小学校校歌

著作権者、または御家族に、直接許可をいただいております。


 

 学区学区地図

飯富小の学区は,水戸市の北西部に位置しています。学区内には,飯富幼稚園,飯富小学校,飯富中学校,県立水戸飯富特別支援学校があります。

 

 PDF 飯富学区地図(PDF 952.0KB)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

「きぼう」の像

 「きぼう」の像 職員玄関の入り口に「きぼう」の題がつけられた子ども像が建っています。前方をしっかり見据えたその眼は,正に希望を感じさせてくれます。
 像の裏側に次のことが記されています。
 
 飯富小学校 創立百周年記念実行委員会

  委員長    床宿 裕
  記念像制作者 吉田 貫
  台座制作者  長山 泉
  書   南沖 関 敬義

   昭和48年11月13日

 来校された際にご覧になってください。 

 

 


 

校歌碑

  校歌碑校舎前の運動場に面した花壇の中に,「校歌碑」があります。本校の校歌が刻まれている碑です。
 その碑の裏側には次のことが記されています。

 寄贈
 創立百二十周年記念事業実行委員会
 委員長  床宿 裕
      他一同
 第二十四代校長 仲川 武夫 謹書

 平成六年(1994年)三月

 来校された際にご覧になってください。

 

 


 

磐梯小学校の変遷

 磐梯小学校の変遷 明治6年7月13日,藤井小学校と同時に大字飯富字上釜井戸上1064番地に飯富小学校を開校し,翌7年磐梯小学校と改称。同8年飯富小学校と再改称する。
 その後,同18年3月字上合4427番地に約528m2 を購入し,校舎約215m2 を新築,同19年12月成沢を分離し,同年藤井小学校を合わせ飯富尋常小学校と称する。26年高等科を併置し,飯富尋常高等小学校と称す。35年9月の暴風に校舎破損,一時民家を使用し37年7月字上合権現4449番地へ建築移転,42年補修学校を付設し43年より基本財産積立に着手する。大正2年3月学校用地約6.6ヘクタールに杉,松,3万3千本を植え付けた。
 その後,昭和16年に飯富国民学校となり,昭和22年4月学制改革により「飯富小学校」となる。また,同年5月「飯富中学校」も開校した。

 

 ※画像「市制百周年記念 飯富郷土誌」より抜粋

 

 


 

平成24年時の校舎

 平成24年時の校舎H24.2.22に撮影した航空写真です。昭和の頃の写真と見比べていかがでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

昭和32年頃の校舎

 昭和32年頃の校舎 昭和32年12月に航空写真で撮影した当時の飯富小学校の校舎と運動場の写真です。この画像も飯富市民センターに保管してあったコピーを活用したものです。

 

 

 

 


 

昭和31年頃の校舎

 昭和31年頃の校舎 昭和31年10月に航空写真で撮影した当時の飯富小学校の校舎と運動場の写真です。飯富市民センターに保管してあったコピーを画像にしたものです。

 

 

 

 

 


 

加倉井砂山と門人

 加倉井砂山と門人 12月10日(土)~平成24年1月29日(日)の期間,茨城県立歴史館において「水戸藩最大の私塾・日新塾~加倉井砂山と門人たち」と題した展示会が行われます。展示コーナーには「加倉井砂山『日新塾跡』」と題したリーフレットや「加倉井砂山物語」の冊子が無料配布されております。
 画像は,歴史館の入り口に掲示してある看板です。

※PDFファイルに「チラシ」を掲載しましたが,容量の関係でモノクロになってしましました。参考にしてください。

 

 PDF 加倉井砂山と門人(PDF 1.2MB)

 

 

 


 

加倉井砂山と日新塾

 倉井砂山と日新塾 日新塾は,加倉井砂山(かくらいさざん)が茨城郡成沢村(水戸市成沢町)の自宅に開いた私塾です。農村の私塾としてはその規模から北関東随一であるといわれています。
 日新塾は,教育科目が多彩であり,学芸では,読書・習字・作詩作文・地理・歴史・数学・兵学のほか日常生活や時事問題を話題としての講義,塾生同士の論講・論読・討論会などがあり,武術では剣術・砲術・馬術・教練の各科がありました。
 
 今回,「日新塾精神顕揚会」より許諾をいただきましたので,水戸市指定史跡「加倉井砂山『日新塾跡』-水戸藩屈指の私塾-」のパンフレットの一部を掲載させていただきました。

 また,水戸商工会議所HP内「郷土いいとこ再発見」の「加倉井砂山の墓・日新塾」にリンクしましたので下記よりアクセスできます。

 

http://mito.inetcci.or.jp/110iitoko/shiseki/05kakurai.html

 PDF 倉井砂山と日新塾(PDF 1.9MB) 

 


 

茨城鉄道(茨鉄)

 茨城鉄道(茨鉄) 茨城鉄道は,国道123号の西を並行して走り,今の市民センター入り口の坂上に小さな鉄橋が架かっていた。
 飯富駅・藤井駅の跡は,飯富台,藤井団地の二カ所にそれぞれ開発されて現在住宅地になっている。
 茨城鉄道は,大正15年10月赤塚,石塚間の営業が開始され,その後御前山まで開通された。昭和43年6月大学前,石塚間の営業廃止となるまで42年間にわたり地域の発展に貢献した。
 茨城鉄道が担った役割は,市内への学生輸送と北部の薪炭,木材及び砂利並びに牛蒡等の運搬がその主なるものであった。 開通当時は,客車は通常三輌連結で,うち一輌は中央で仕切られ二等車ということになっていたが,これは間もなく廃止された。藤井駅から上水戸駅間の料金は,大人二十銭位であった。

 ※「市制百周年記念 飯富郷土誌」より一部抜粋 

http://members.jcom.home.ne.jp/asahi-ga-oka/ibatetsu/ibatetsu.html

 

 


諸澤 みよ

 

 諸澤みよ 学校法人常磐大学の創立者である諸澤みよ(旧姓小田木)は,明治二十年(1887)に,東茨城郡飯富村(水戸市)で生まれました。
 みよは明治四十二年(1909),水戸市馬口労町(水戸市末広町)に小田木裁縫伝習所を開設しました。ここは,近くの民家を借り受けたものでささやかな施設でしたが,これがのちの常磐学園という大樹の発芽となりました。その後みよは,大正十一年四月十八日に水戸常磐女学校を設立して,初代校長に就任しました。
 その後,昭和二十六年に学校法人常磐学園が設立されると,みよは理事長に就任しました。この常磐学園は,人間教育の充実と実学の伝習に努めたみよの意思を継いでその後も発展を続け,平成十七年(2005)に学校法人名称を「常磐大学」に変更し,現在に至っています。

 

 ※参考文献「水戸の先人たち」より一部抜粋
   (水戸市教育委員会 平成22年3月31日発行)
 ※写真は,常磐大学より提供