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加倉井砂山立像 (森林公園内) |
かくらいさざんりつぞう (しんりんこうえんない) |
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加倉井砂山は幕末の成沢に日新塾を開き,地域の人々の教育に尽くした。30年間に約3000人を教えた。教育内容は読書,習字から医学,理化学,武芸と多彩であった。現在でも成沢地区に日新塾跡がある。
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神生堀 (飯富町) |
かのうぼり (いいとみちょう) |
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神生堀は,安土桃山時代に飯富で勢力を持っていた神生氏が藤井川より水を揚げて台地上を水田にするため掘ったといわれている。現在は@組より下宿まで掘り跡が残っている。
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金砂山東漸 院(成沢町) |
かなさざんとうぜん いん(なるさわちょう) |
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1533年に江戸氏によって創立される。その後江戸時代に再建される。本尊の十一面観音は,霞ヶ浦から引き上げられて玉造に安置されていたものを徳川光圀によって東漸院に移されたといわれている。
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真佛寺 (飯富町) |
しんぶつじ (いいとみちょう)
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1218年,大部平太郎維芳が飯富に親鸞聖人を招き,教えを受けて開かれる。近くの水田には親鸞聖人が飯富の農民と共に田植えをされた記念碑「親鸞聖人御田植えの碑」がある。
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十万原遺跡 (藤井町) |
じゅうまんぱらいせき (ふじいちょう) |
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十万原の語源は,源義家が奥州征伐に向かう途中,藤内神社に戦勝を祈願するために十万の兵を休ませたという伝説による。水戸で最も古い六千年前の遺跡があり,現在も竪穴式住居などの発掘が進んでいる。
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藤内神社 (藤井町) |
ふじうちじんじゃ (ふじいちょう) |
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養老5年(721年)の創建で延喜式二十八社に記録が残っている。江戸時代,疫病がはやった際に始まった輪くぐり祭りが現在でも夏越祭に行われている。
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大井神社 (飯富町) |
おおいじんじゃ (いいとみちょう) |
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大井神社は藤内神社と同じく,延喜式に記載されている。神生氏の乱で焼失するが,徳川光圀公により再建される。急な階段を登ると社殿がある。途中には女性のための「おんな坂」がある。
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西田川水門 (岩根町) |
にしだがわすいもん (いわねちょう) |
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1986年と1998年の那珂川の氾濫を教訓に西田川に水門が完成する。洪水時は水門を閉め,逆流するのを防ぐことが目的である。これにより岩根地区の水害は防止されることとなった。
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