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水府流 水術稽古場 |
すいふりゅう すいじゅつけいこば
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徳川斉昭(とくがわなりあき)=烈公(れっこう)は,武術(ぶじゅつ)として,那珂川で水泳の訓練をさせました。流れの速い川をよろいを着たまま泳ぐため,横向きになって泳ぐ方法(のし泳ぎ)など,水府流水術を教えました。これは,大杉山の水郡線(すいぐんせん)鉄橋近くにたつ石碑(せきひ)です。
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| 神勢館 |
しんせいかん
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烈公(れっこう)は,国を守ることに力をそそぎました。那珂川の近くに神勢館を作り,神発流(しんぱつりゅう)という大砲や鉄砲のうち方を訓練させました。これは,その跡に立てられた記念碑です。
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| 常陸山生誕の碑 |
ひたちやませいたんのひ
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常陸山は,明治時代に活やくした天下の大横綱(だいよこづな)です。1903年(明治36年)に19代目横綱となり,9年間18場所で8回しか負けたことがありませんでした。
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横山大観 生誕の碑 |
よこやまたいかん せいたんのひ
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1868年(明治元年)に水戸三の町(城東)に生まれました。日本美術院を作り,岡倉天心(おかくらてんしん),菱田春草(ひしだしゅんそう),下村観山(しもむらかんざん)らと新しい日本画をつくり出しました。茨城県の五浦に日本美術院を移し,作品づくりはげみました
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| 那珂川 |
なかがわ
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江戸時代の交通に那珂川が利用され,千石船(せんごくぶね)が荷物のあげおろしをした河岸(かし)がありました。
秋になると那珂川には鮭が上がり,大正時代には蒸気船が,大杉山から那珂湊まで客を乗せて行き来していました。
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