グロトリアン・ピアノ
大場小学校のグロトリアンピアノ
大場小学校にあるピアノはドイツ製で,グロトリアン・スタインウィヒ製造です。製造番号から,1886年製とわかりました。
グロトリアン・スタインウィヒ社は,アメリカのスタインウェイ社の兄弟会社で,現在も,グロトリアンとして続いている一流のピアノメーカーです。
鍵盤の数は85鍵(7オクターブ)で,上前板には燭台が一対取り付けられています。上下前板,胸部などには装飾的な彫刻がほど良く施されて,格調の高さを感じさせます。打弦機構は,ほぼ現在のアクションと同じで,弦の張り方も,現在と変わらない交差弦方式になっています。
このピアノは「スッテセルのピアノ」と伝えられてきましたが,海軍からの払い下げといういきさつから考えても,日本海海戦で日本の連合艦隊と戦ったバルチック艦隊の戦艦に積まれていたピアノとするのが妥当と思われます。バルチック艦隊のうち撃沈をまぬがれた戦艦は,ニコライ1世とアリヨールの2隻でした。このうちアリヨールには,ピアノが積まれていたという乗組員の手記もあります。アリヨールは破損が激しく,佐世保まで行くことができなかったので,舞鶴に運ばれ,ピアノはそこから陸路,横須賀へと移されたようです。
横須賀海軍工廠の倉庫に眠っていたピアノが,当時海軍の主計少尉で,同工廠に勤めていた飛田一政氏の尽力によって,大場小学校にやってきたのは大正12年でした。飛田一政氏は大場の出身で,同郷であった妻の『香典の一部は必ず母校に寄贈する記念品に・・・』という遺言に応えようとあれこれ思案していて,勤務先の倉庫のピアノを知りました。そして各方面への働きかけが功を奏し,大場小学校にピアノを贈ることが実現したのでした。
大正時代,水戸市内にピアノは5~6台しかなかったといいます。大場の子どもたちにとって,間近でピアノの音色を聞くことは,おそらく初めてのことだったのではないでしょうか。昭和30年代まで,このピアノは使われていたそうです。
その後は由緒あるピアノと言われていたものの,傷みが激しく,校舎の片隅に置かれていました。昭和63年,当時の校長根本順弘氏が復元を提唱し,平成元年ついに,ピアノは美しい姿と音を取り戻しました。
復元されたピアノは,修復記念に行われたコンサートを皮切りに,学校での折々の行事で演奏され,児童や地域の人々に大変親しまれています。
明治のロマンと歴史の重さを,美しい音色に包みこみ,さらに,このピアノは,21世紀の子どもたちと共に生きる運命を歩み始めています。