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茨城県水戸生 涯学習センター |
いばらきけんみとしょう がいがくしゅうせんたー
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愛宕町(あたごちょう)にあります。学習(がくしゅう)したいとかんがえているおとしよりから子どもたちのための施設(しせつ)で,いろいろな講座(こうざ)がひらかれています。
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東町 運動公園 |
あずまちょう うんどうこうえん
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だれでも楽(たの)しく利用(りよう)できるスポーツセンターです。ひろい体育館(たいいくかん),テニスコート,プール,アーチェリー場,すもう場などがあります。
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沢渡川 緑地公園 |
さわたりがわ りょくちこうえん
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常磐大学(ときわだいがく)前の遊水池跡(ゆうすいちあと)が沢渡川緑地公園として整備されました。広い芝生(しばふ)があり,地域の住民の散歩(さんぽ)やいこいの場となっています。近くに,双葉台(ふたばだい)にある新溜(しんため)から流れ出し,偕楽園公園(かいらくえんこうえん)で桜川に合流(ごうりゅう)する沢渡川(さわたりがわ)が流れています。
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茨城県立 盲学校 |
いばらきけんりつ もうがっこう
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愛宕町(あたごちょう)の茨城県立盲学校には,小学部・中学部・高等部があり,目の不自由な人たちが学んでいます。寄宿舎(きしゅくしゃ)があり,家から遠くて通学できない人は親元を離(はな)れて学習しています。点字(てんじ)という指で読む文字を使って学習したり,将来の仕事のための訓練も行います。
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茨城県立 歴史館 |
いばらきけんりつ れきしかん
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茨城県の歴史に関するいろいろなものを集め,たくさんの人に見ていただくために1974年に開館しました。広い敷地(しきち)の中には,本館のほかに,昔の校舎や農家,水車小屋などがあります。樹木も多く,季節によってさまざまな美しいけしきを見ることができます。
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旧水海道 小学校本館 |
きゅうみつかいどう しょうがっこうほんかん
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水海道小学校本館として明治14年に建てられ,いま残る数少ない洋風校舎のひとつです。1971年に茨城県立歴史館の庭に復元(ふくげん)されました。館内には明治から昭和初期の教科書や1866年製の外国のグランドピアノなどが展示されています。
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| 旧茂木家住宅 |
きゅうもぎけじゅうたく
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18世紀前半(約300年前)に建てられた直屋型(すこやがた)とよばれる農家です。行方郡(なめかたぐん)の牛堀町,今の潮来市(いたこし)より移されました。土間(どま)よりも板張りの広間の方が広い特色があります。当時の大農家での生活のようすが想像できます。
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学校周辺に 残るむかしの風景 |
がっこうしゅうへんに のこるむかしのふうけい
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常磐小学区の一部は,昭和8年に水戸市に合併するまえまで常磐村でした。むかしのようすを伝えるものとして,茨城鉄道や水浜電車(すいひんでんしゃ)の線路あとなどが残っていましたが,いまは道路などになりほとんど見られなくなりました。写真は,むかしの風景が残っているの正門前の畑です。
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| 安積澹泊の墓 |
あさかたんぱくのはか
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安積澹泊は,水戸黄門のお話の中で「格(かく)さん」のモデルとなった人です。実際は水戸藩士(はんし)で歴史の学問所(がくもんじょ)「彰考館(しょうこうかん)」の総裁(そうさい)を務(つと)めたり,「大日本史(だいにほんし)」を編集(へんしゅう)したりした学者です。1737年12月,83歳で死去し,保和苑(ほわえん)のとなりの常磐共有墓地(ときわきょうゆうぼち)にねむっています。
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| 藤田東湖の墓 |
ふじたとうこのはか
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幕末(ばくまつ)の水戸藩士で,水戸市梅香(ばいこう)に生まれました。九代藩主徳川斉昭公(とくがわなりあきこう)の片腕(かたうで)となり,水戸藩校「弘道館(こうどうかん)」の創立など数々の改革(かいかく)を行いました。弘道館記述義・常陸帯・回天詩史・正気歌などの著作は,全国の志士に思想的影響を与えました。安政大地震(あんせいのおおじしん)により,50歳でなくなりました。
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| 回天館 |
かいてんかん
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江戸時代のおわりごろ,幕末(ばくまつ)に,尊皇攘夷(そんのうじょうい)の考えのもと水戸天狗党(てんぐとう)の志士八百余名が武器をもって京都をめざしました。しかし,福井県敦賀(ふくいけんするが)で捕(と)らえられ,魚を入れるにしん倉(ぐら)に入れられたあと,全員が処刑(しょけい)されました。そのにしん倉を常磐神社(ときわじんじゃ)境内(けいだい)に移築(いちく)し,回天館と名付けました。その後,常磐共有墓地内に移築されました。
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| 保和苑 |
ほわえん
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保和苑の名前の由来(ゆらい)は,徳川光圀公(とくがわみつくにこう)が桂岸寺の庭を愛し保和園と名付けたのが始まりです。夏には十数種5500本のあじさいが咲き,あじさいまつりが開かれます。秋には菊まつりが開かれ,遠く県外からも観光客が訪れます。
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愛宕山古墳と 愛宕神社 |
あたごやまこふんと あたごじんじゃ
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那珂川を見下ろす台地の上に作られた前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)の古墳(こふん)。約1500年前の古墳時代中期に作られ,県内第3位の大きさがあります。那賀国造(なかのくにつくり)建借間命(たけかしまのみこと)の墓と伝えられています。別名を袴塚古墳(はかまつかこふん)とも言い,古墳の上には愛宕神社がまつられています。
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| 曝井 |
さらしい
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那珂川を見下ろす台地の中腹(ちゅうふく)にあるわき水です。約1250年前の奈良時代(ならじだい)の歌集(かしゅう)「万葉集(まんようしゅう)」に曝井の歌がのっていることで有名です。
三栗(みつくり)の 那珂に向かへる 曝井の 絶えず通わん そこに妻もが (高橋虫麻呂) 同じ時代の「常陸風土記(ひたちふどき)」という本にも名前がみられ,その名の通り布を洗うなど生活に使われていたようです。
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| 水府提灯 |
すいふちょうちん
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提灯作りは,江戸時代の藩民(はんみん)の経済(けいざい)を支(ささ)える産業の一つとして定着し,提灯の日本三大産地(岐阜・ぎふ,八女・やめ,水府)の一つとなりました。竹ひごを一本一本輪にして,糸で結(ゆ)わえる「一本掛け(いっぽんがけ)」が基本となっています。
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