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地域自慢

ダイダラボウ

 ダイダラボウ常澄(つねずみ)中学校のとなりにある国指定史跡(くにしていしせき)「大串貝塚(おおくしかいづか)」跡(あと)に作られたダイダラボウの像(ぞう)です。大串ふれあい公園のシンボルになっています。大串貝塚は縄文時代前期(じょうもんじだいぜんき)の貝塚で,貝層断面観覧施設(かいそうだんめんかんらんしせつ)ですてられた貝などのつみかさなったようすを見ることができます。8世紀(せいき)初めに編(へん)さんされた「常陸国風土記(ひたちのくにふどき)」に大串の名が出てきます。


 


大串の散々楽ばやし

 散々楽ばやし獅子頭(ししがしら)を竹竿(たけざお)の先につけた雄獅子(おじし),雌獅子(めじし),子獅子(こじし)の三体が,はやし方の大太鼓(おおだいこ),小太鼓(こだいこ),鉦(しょう),ふえ,唄手と底(そこ)なしの屋台(やたい)の中に入り,はやしに合わせて獅子舞(ししまい)を演(えん)じます。親獅子(おやじし)が子獅子をさがしもとめるかなしい場面と,やがてめぐりあいよろこびあう勇壮(ゆうそう)な場面が演じられます。

 


飛田穂洲

 飛田穂洲「学生野球(がくせいやきゅう)の父」として有名です。現在の水戸市大場町(おおばちょう)で生まれ,水戸中学,早稲田大学(わせだだいがく)で選手(せんしゅ)として活躍(かつやく)しました。のちに,監督(かんとく)として早稲田大学を東京六大学野球(とうきょうろくだいがくやきゅう)で優勝(ゆうしょう)させました。「一球入魂(いっきゅうにゅうこん)」や「試合(しあい)で泣(な)かず練習(れんしゅう)で泣け」などの名言(めいげん)を残(のこ)しました。


 


大野の弥勒ばやし

 弥勒ばやし1708年より,五穀豊穣(ごこくほうじょう),商売繁盛(しょうばいはんじょう)を願って行われてきました。ふえ,大太鼓(おおだいこ),小太鼓(こだいこ),鐘(かね)のはやしと踊り手(おどりて)が,底(そこ)なし屋台(やたい)の中にで人形を操(あやつ)りながら演(えん)じます。おどるしぐさが子どもがだだをこねているようなので,駄々(だだ)みろくともよばれています。


 


佛性寺の八角円堂

 佛性寺佛性寺は9世紀(せいき)のはじめに作られました。16世紀の終わりごろに建(た)てられた本堂(ほんどう)は,大日如来像(だいにちにょらいぞう)が安置(あんち)されている八角円堂で,高さ11メートル,面積(めんせき)56平方(へいほう)メートルあります。


 


六地蔵寺の枝垂れ桜

 枝垂れ桜この寺には,六つの地蔵(じぞう)があるところから六地蔵寺と言われ,9世紀のはじめに作られました。境内(けいだい)には、樹齢(じゅれい)160年の枝垂れ桜(しだれざくら)のほか,1000年を越(こ)える大杉(おおすぎ)などがあり,茨城百景(いばらきひゃっけい)のひとつにあげられています。
 

 


北関東自動車道

 北関東自動車道那珂湊港(なかみなとこう)常陸那珂港?から友部(ともべ)ジャンクション(JCT)までの自動車専用道路?高速道路です。友部で常磐自動車道(じょうばんじどうしゃどう)につながり,人の移動(いどう)や物の移動にたいへん便利(べんり)になりました。東京駅までの高速バスも走っています。
 

 


美術室から見た田園風景

 田園風景常澄地区の耕地(こうち)の約半分は田畑に利用されており,伝統的(でんとうてき)な稲作地帯(いなさくちたい)です。中には,秋成新田(あきなりしんでん)に代表される,水戸藩第九代藩主(みとはんだいきゅうだいはんしゅ)徳川斉昭公(とくがわなりあきこう)が開発(かいはつ)させた水田も残(のこ)されています。晴(は)れた日には,大洗港(おおあらいこう)のフェリーやマリンタワーもきれいに見えます。
 

 

 


掲載日 平成25年2月1日 更新日 平成30年2月26日
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