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地域自慢を掲載しました。
吉沢小学校は以前は別な場所にあった?
~吉沢小学校のあゆみ~その昔,吉沢町は「吉沢村」と呼ばれていました。
○明治6年3月
学制発布に基づき,吉沢村・米沢村・東野村の三村組合立小学校として,吉沢村字西割324番地(現在の吉沢小学校よりも南側の方)に「習帳小学校(長岡村)吉沢分校」として開校しました。児童数は男女合わせて40名余で,校舎は茅葺(かやぶき)の屋根の倉を改造したものだったという話があります。
○明治10年1月
習帳小学校より分離独立して吉沢小学校が創立されました。
○明治19年12月
教育制度改正し,吉沢・吉田両校を合併統合をしました。
○明治20年1月
吉沢・吉田両校舎を合併し,吉田尋常小学校となりました。
○昭和59年4月1日水戸市内26番目の小学校として吉田小学校から分離して,現在の位置に開校しました。
陸前浜街道について
学校の東側にある「県道長岡・水戸線」は,江戸時代には水戸街道,明治時代には陸前浜街道と言われ,東京と水戸を結ぶ主要な街道として存在しました。江戸時代後期には,23名もの大名がこの道を利用して参勤交代をしていたという記録があるそうです。学校の西側には「さくら通り」
学校の西側には,春に桜の花がきれいな並木道をつくる「さくら通り」があります。
掲載日 令和3年6月8日
更新日 令和4年5月6日
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