このページの本文へ移動
Since 00128066
Monthly 00001295

行事カレンダー

2024年3月
25 26 27 28 29 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 1 2 3 4 5 6
トップ > 地域自慢

地域自慢

加倉井砂山と門人

 加倉井砂山と門人12月10日(土曜日)~平成24年1月29日(日曜日)の期間,茨城県立歴史館において「水戸藩最大の私塾・日新塾~加倉井砂山と門人たち」と題した展示会が行われます。展示コーナーには「加倉井砂山『日新塾跡』」と題したリーフレットや「加倉井砂山物語」の冊子が無料配布されております。
画像は,歴史館の入り口に掲示してある看板です。

※PDFファイルに「チラシ」を掲載しましたが,容量の関係でモノクロになってしましました。参考にしてください。

 

 PDF 加倉井砂山と門人(PDF 1.2MB)

 

 

 


 

加倉井砂山と日新塾

 倉井砂山と日新塾日新塾は,加倉井砂山(かくらいさざん)が茨城郡成沢村(水戸市成沢町)の自宅に開いた私塾です。農村の私塾としてはその規模から北関東随一であるといわれています。
日新塾は,教育科目が多彩であり,学芸では,読書・習字・作詩作文・地理・歴史・数学・兵学のほか日常生活や時事問題を話題としての講義,塾生同士の論講・論読・討論会などがあり,武術では剣術・砲術・馬術・教練の各科がありました。

今回,「日新塾精神顕揚会」より許諾をいただきましたので,水戸市指定史跡「加倉井砂山『日新塾跡』-水戸藩屈指の私塾-」のパンフレットの一部を掲載させていただきました。

また,水戸商工会議所HP内「郷土いいとこ再発見」の「加倉井砂山の墓・日新塾」にリンクしましたので下記よりアクセスできます。

 

http://mito.inetcci.or.jp/110iitoko/shiseki/05kakurai.html

 PDF 倉井砂山と日新塾(PDF 1.9MB) 

 


 

茨城鉄道(茨鉄)

 茨城鉄道(茨鉄)茨城鉄道は,国道123号の西を並行して走り,今の市民センター入り口の坂上に小さな鉄橋が架かっていた。
飯富駅・藤井駅の跡は,飯富台,藤井団地の二カ所にそれぞれ開発されて現在住宅地になっている。
茨城鉄道は,大正15年10月赤塚,石塚間の営業が開始され,その後御前山まで開通された。昭和43年6月大学前,石塚間の営業廃止となるまで42年間にわたり地域の発展に貢献した。
茨城鉄道が担った役割は,市内への学生輸送と北部の薪炭,木材及び砂利並びに牛蒡等の運搬がその主なるものであった。開通当時は,客車は通常三輌連結で,うち一輌は中央で仕切られ二等車ということになっていたが,これは間もなく廃止された。藤井駅から上水戸駅間の料金は,大人二十銭位であった。

※「市制百周年記念飯富郷土誌」より一部抜粋

http://members.jcom.home.ne.jp/asahi-ga-oka/ibatetsu/ibatetsu.html

 

 


諸澤みよ

 

 諸澤みよ学校法人常磐大学の創立者である諸澤みよ(旧姓小田木)は,明治二十年(1887)に,東茨城郡飯富村(水戸市)で生まれました。
みよは明治四十二年(1909),水戸市馬口労町(水戸市末広町)に小田木裁縫伝習所を開設しました。ここは,近くの民家を借り受けたものでささやかな施設でしたが,これがのちの常磐学園という大樹の発芽となりました。その後みよは,大正十一年四月十八日に水戸常磐女学校を設立して,初代校長に就任しました。
その後,昭和二十六年に学校法人常磐学園が設立されると,みよは理事長に就任しました。この常磐学園は,人間教育の充実と実学の伝習に努めたみよの意思を継いでその後も発展を続け,平成十七年(2005)に学校法人名称を「常磐大学」に変更し,現在に至っています。

 

※参考文献「水戸の先人たち」より一部抜粋
(水戸市教育委員会平成22年3月31日発行)
※写真は,常磐大学より提供

 


掲載日 平成30年3月28日
アクセス数
オプション