学区発見
稲荷神社(いなりじんじゃ)
いつ作られたかはわかりませんが,1861年に徳川光圀(とくがわみつくに)の名によって字前谷に移されたあと,1703年,水戸3代藩主・綱条(みと3だいはんしゅ・つなえだ)の命によって,現在の地に社殿が造営された。稲荷神社のお祭(まつ)りでは,「大串(おおぐし)のささら」と「下大野(しもおおの)のみろく」が献納(けんのう)される。
備前堀(びぜんぼり)
江戸時代,水戸藩初代藩主(みとはんしょだいはんしゅ)徳川頼房(とくがわよりふさ)が伊奈備前守忠次(いなびぜんのかみただつぐ)に命じて引いた農業用水(のうぎょうようすい)で,長さはおよそ12キロメートル。当時,21の村々にわたって1000ヘクタールの水田をうるおし,大きな恵みをあたえることができました。人々は,この用水路(ようすいろ)を「備前堀」「伊奈様(いなさま)」とよんで,忠次(ただつぐ)の仕事をたたえています。
向山遺跡(むかいやまいせき)
この遺跡(いせき)は,稲荷第一小学校の敷地内(しきちない)にあります。大串(おおくし)のむかしの地名である大串向山(おおくしむかいやま)から向山遺跡と名付けられました。奈良(なら)・平安時代(へいあんじだい)の集落跡(しゅうらくあと)で,たくさんの住居跡(じゅうきょあと)と溝(みぞ)の跡(あと)が発見されました。縄文土器(じょうもんどき)(中期),凹石(ぼこいし),石錘(せきすい),弥生土器(やよいどき)(後期),土師器(はじき)などが出土しました。
大串貝塚(おおくしかいづか)
奈良時代(ならじだい)の「常陸国風土記(ひたちのくにふどき)」にも書かれており,文献(ぶんけん)に記録(きろく)されている貝塚としては,世界でもっとも古いとされています。縄文時代前期(じょうもんじだいぜんき)(今から約5500年前)のものとされています。甕形(かめがた)や鉢形(はちがた)の土器(どき),石器(せっき),骨角器(こっかくき)のほか,大型(おおがた)のハマグリを利用(りよう)した貝刃(かいじん)などが出土(しゅつど)しています。
香取神社(かとりじんじゃ)
いつごろできたのかはわかりませんが,1882年4月1日に島田(しまだ)の村社(そんしゃ)になりました。悪いことが起きないように,作物(さくもつ)がたくさんとれるようにと,地元の人々に大切にされています。本殿(ほんでん)の中には,馬に乗った神様をかたどった木像(もくぞう)があり,祭りのときだけ本殿の扉を開いてお参りすることができます。
素鵞神社(そがじんじゃ)
素鵞神社は,五穀豊穣(ごこくほうじょう:穀物がたくさんみのること)を祈願(きがん)し,お天道様(太陽)に感謝をささげるために,文化7年(1810年)6月7日に建てられました。「天王(てんのう)さん」とも呼ばれています。
稲荷第一公民館(いなりだいいちこうみんかん)
昭和46年にできました。大ホール,図書室,研修室(けんしゅうしつ),小会議室(しょうかいぎしつ),調理室(ちょうりしつ),事務室(じむしつ)などがあり,地域の人たちの学習の場や,レクリェーションなどの交流の場として利用されています。
大串貝塚ふれあい公園(おおくしかいづかふれいあこうえん)
豊かな自然環境(しぜんかんきょう)と歴史的遺産(れきしてきいさん)である大串貝塚の保護(ほご)・保存(ほぞん)を行いながら,公園及び地域の人々の交流の場として利用するために作られました。屋外施設(おくがいしせつ)として人気を集めている巨人像(ダイダラボウ)や縄文時代の復元住居(ふくげんじゅうきょ),遊具施設(ゆうぐしせつ),広場などが整備(せいび)されています。